よもやま話 大日本帝国海軍 探訪 瓦版

教科書には載っていない祈りの記憶。伊万里白山神社で知った「祝詞」の真実と、英霊となった750人の男たち

いつもご覧いただきありがとうございます、店主・小野です。

私には、月に一度欠かさず行っているルーティンがあります。 それは、佐賀県伊万里市にある「白山神社」への参拝です。

ある日の早朝、まだ街が目を覚ましきっていない午前7時前。私はひんやりとした朝の空気を切り裂くように愛車(バイク)に跨がり、福岡から伊万里へと向けてアクセルを開けました。 8時前には白山神社に到着。朝の神社特有の、あのピンと張り詰めた清浄な空気の中、まずは先月一ヶ月の無事を感謝し、今月の平安を静かに祈願しました。

参拝を終えたものの、時刻はまだ8時過ぎ。「あー、さすがに早すぎたな。この時間に御朱印をお願いするのはご迷惑だろう」と思い、御朱印はいったん諦めることにしました。 とはいえ、このまま福岡へ帰るにはあまりにも早すぎます。そこで私は、まず伊万里にある祖母本家の近く、大伯父が眠るお墓へと手を合わせに向かいました。

🏍️ 伊万里の墓前、そして佐世保の海軍墓地へ

静かに墓前で手を合わせた後、大伯父たちが生きた証をさらに辿るため、長崎の佐世保へとバイクを走らせることにしました。目的地は、佐世保東山公園(海軍墓地)です。

大伯父のお墓
大伯父のお墓
佐世保東山海軍墓地
佐世保東山海軍墓地

ここには、ミッドウェー海戦において最後まで戦い抜き、壮絶な最期を遂げた航空母艦「飛龍(ひりゅう)」の戦没者慰霊碑があります。その碑に刻まれた戦没者名簿の中には、私の大伯父、そして曾祖母の名前が刻まれています。 以前にも慰霊碑の写真は撮っていたのですが、残念なことにそのデータを紛失してしまっていました。最近、初心者の私には少しもったいないくらい立派なカメラを手に入れたこともあり、「あの名前を、もう一度しっかりとこのレンズに収めておきたい」という強い思いに駆られたのです。

航空母艦飛龍慰霊碑
航空母艦飛龍慰霊碑
航空母艦飛龍戦没者名簿
航空母艦飛龍戦没者名簿

静まり返った海軍墓地で、ファインダー越しに大伯父たちの名前にピントを合わせながら、彼らが生きた壮絶な時代に静かに思いを馳せました。

🍔 平和な休日のジレンマと、Uターン

一通り撮影と慰霊を終えた後は、いつものお決まりのコース。東山公園の下にある名店「Stamina本舗 Kaya」に立ち寄り、絶品の佐世保バーガーを頬張ってから帰路につくのが私の定番ルーティンです。

しかし、時計が10時を少し回った頃にお店に着くと、すでに行列ができ始めていました。 「うーん、並ぶのはちょっとな……」 バイク乗り特有の気まぐれも手伝って、バーガーは潔く諦め、そのままバイクを走らせることに。帰り道、伊万里にある超有名店「ドライブイン鳥」の前を通過したのが11時過ぎ。ここもスルーしました。

「やっぱり、まだ帰るには早いな」 そう思い直した私は、朝方遠慮した御朱印をいただくため、再び伊万里の白山神社へUターンすることにしました。 白山神社から佐世保へ行き、また無事に白山神社へ戻ってこられたこと。その道中の安全を改めて神様に感謝し、社務所へと向かいました。

📜 祝詞(のりと)は「使い回し」ではなかった

社務所で御朱印を書いていただきながら、宮司さんと少しお話をさせていただきました。 家紋や意匠の奥深さについて意見を交わしつつ、「実は今朝早くにも一度来たんですが、時間が早かったので佐世保の東山公園まで行って、また戻ってきたんです」とお伝えしました。

すると宮司さんが、ふと懐かしむような表情でこうおっしゃいました。 「東山公園ですか。実は私、あそこにある『佐世保鎮守府第五特別陸戦隊慰霊之碑』を新しくした際に、祝詞(のりと)をあげに行かせていただいたことがあるんですよ」

佐鎮五特慰霊之碑
佐鎮五特慰霊之碑
佐鎮五特慰霊之碑 碑文
佐鎮五特慰霊之碑 碑文

【⚓ 佐世保鎮守府第五特別陸戦隊 とは】 少しだけ歴史の補足をさせてください。海軍というと「軍艦に乗って海で戦う」イメージが強いですが、陸戦隊とは、海軍に所属しながら陸上戦闘を行う部隊のことです。 佐世保鎮守府第五特別陸戦隊は、大東亜戦争(太平洋戦争)において、ニューギニア方面など、灼熱のジャングルや絶海の孤島での極めて過酷な地上戦に投入されました。補給も途絶える絶望的な状況下で、故郷を思いながら散っていった、海軍の誇り高き地上戦闘部隊です。


宮司さんは笑いながら、「その時は海上自衛隊の偉い方々もずらりと並んでいらっしゃってね、いやぁ、緊張しましたよ(笑)」と当時の様子を教えてくれました。

そして、続く宮司さんの言葉に私はハッとさせられました。 「あの部隊の皆様への祝詞は、私が作らせていただいたんです」

恥ずかしながら私は、祝詞というものは神社に昔から伝わる定型文がいくつかあり、それをその時々のシチュエーションに合わせて少しアレンジして読んでいるものだとばかり思っていました。 しかし、現実は全く違いました。

宮司さんはご依頼主から、その部隊の歴史や戦歴、所属していた方々の名簿など、分厚い資料をドンと預けられたそうです。そして、その膨大な資料を何ヶ月もかけて読み込み、戦場での過酷な日々や、彼らが抱いていたであろう無念、そして残されたご遺族の思いに深く深く寄り添いながら、一文字一文字、彼らの御霊(みたま)を慰めるための専用の「祝詞」を紡ぎ出したというのです。

「あれは本当に大変でした(笑)」と宮司さんは優しく笑っておられましたが、その数ヶ月間、どれほど重い魂と向き合われていたのか。 ただの定型文ではなく、対象となる人々の「生きた証」を調べ上げ、祈りをオーダーメイドの言葉として形にする。それはまさに、先人たちが魂を込めて家紋や旗印を作り上げた「意匠の真髄」と全く同じだと気付き、私は鳥肌が立つほどの衝撃を受けました。

🩸 1戸あたり1.6人。故郷に帰れなかった750人の英霊たち

そして話は、この白山神社がある南波多(みなみはた)地区の、戦時中の記憶へと移っていきました。

大東亜戦争の末期。この地域にも、次々と召集令状(いわゆる赤紙)が届きました。 出兵が決まった若者や父親たちは、戦地へ向かう前、武運長久(戦いでの無事)と勝利を祈願するために、この白山神社を訪れました。白山神社は決して狭い神社ではありませんが、当時は祈願に訪れる出征兵士やその家族たちで、連日境内があふれかえるほどだったそうです。

当時の南波多地区には、およそ400〜450戸ほどの家庭がありました。 のどかで小さな村です。しかし、終戦を迎えた後、この地区から徴兵されて戦死された方々の数は、約750名にも上ったそうです。

計算してみてください。400戸の村で、750人が帰らぬ人となる。 「1戸あたり、1.6人の男性が祖国に殉じた」ということです。

ある家では父親と長男が。ある家では兄弟全員が。村を歩けば、すれ違うほとんどの家から、働き手であり、愛する家族であった男性たちが、故郷の土を踏むことなく英霊となってしまったのです。昨日まで田んぼを耕し、笑い合っていた青年たちが、南の島や冷たい海の底で命を落とし、祖国を守る神様になりました。

私はこの凄まじい数字を聞いて、言葉を失いました。 全国の至る所の神社やお寺の境内に、なぜ「戦没者慰霊碑」が建てられているのか。その本当の意味が、頭ではなく、心と身体の奥底で完全に腑に落ちた瞬間でした。 彼らは皆、最後に地元の神様に手を合わせ、「必ず生きて帰ってきます。残していく家族をお守りください」と祈り、そして二度と帰ってこなかったのです。神社は、彼らの最後の体温と祈りが残された場所だったのです。

と同時に、これほどまでに成人男性が失われた焼け野原から、残された女性や子ども、お年寄りたちがどれほどの血の滲むような思いで働き、この国を復興させてきたのか。その事実に対する畏敬の念で胸がいっぱいになりました。

📖 教科書には載っていない。だからこそ、私たちが纏う

「こういう話はね、歴史の教科書には載っていません。でも、絶対に伝えていかないといけない話なんですよ」

宮司さんのその静かな言葉が、今も私の耳の奥に深く残っています。 あの有名な武将の武勇伝でもなく、国家の大きな政治の話でもない。名もなき750人の男たちが、確かにこの地で生き、祈り、そして散っていったという事実。 私は今後、ツーリングで他の神社を訪れる際にも、こうした「その土地に眠る声なき歴史」を宮司さんたちに聞いて回りたいと強く思うようになりました。

最後になりますが、お忙しい中、ふらりと立ち寄った私に対して、これほどまでに貴重で魂が震えるようなお話を聞かせてくださった白山神社の宮司様には、この場を借りて心より深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

アパレルを通じて皆様にお届けしているのも、まさにこの「教科書には載っていない、人間の泥臭い祈りや覚悟の形」です。

戦国武将たちが命懸けで掲げた意匠を落とし込んだ【戦国武将シリーズ】は、ホワイト、ブラックに加え、ネイビー、バーガンディ、アーミーグリーン、インディゴの全6色をご用意しています。これらは単なるカラーバリエーションではなく、血の滲むような歴史の重みと、散っていった者たちへの鎮魂の意味を込めた、深く沈み込むような色合いに限定しています。

そして、純粋な造形美と意匠の力強さをストイックに味わっていただく【甲冑シリーズ】や【浮世絵シリーズ】は、ごまかしのきかない「ホワイト」と「ブラック」の2色のみ。

ただのファッションではなく、先人たちが遺した祈りや、生きた証である「意匠」を、現代の日常という戦場に着ていくための鎧として。

休日の朝、バイクで駆け抜けた何気ない道のりには、数え切れないほどの祈りが眠っています。 皆様もぜひ、ご自身のルーツや地元の神社に立ち寄った際は、その境内の隅にある石碑に少しだけ目を向けてみてください。そして、圧倒的な逆境を生き抜いた先人たちの魂を、意匠と共にその背中に纏っていただければ、これに勝る喜びはありません。

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