高傳寺、天祐寺での「ご挨拶」を終え、最後に向かったのは今の佐賀の象徴、佐賀城址です(別名:亀甲城(きっこうじょう))。かつて「沈み城」とも呼ばれた、鍋島氏三十五万七千石の居城。ここは単なる史跡ではなく、随所に「鍋島家の意匠」が散りばめられた、私にとってインスピレーションの宝庫です。
📍 佐賀城址(佐賀城本丸歴史館)の基本情報
| 項目 | 内容 |
| 住所 | 佐賀県佐賀市城内2-18-1 |
| 駐車場 | 佐賀城本丸歴史館 駐車場(無料) |
| 公式サイト | 佐賀城本丸歴史館 |
1. 名君・鍋島直正公(閑叟公)への敬意
まず向かったのは、鯱の門の北側、場外にそびえ立つ幕末の名君・鍋島直正公の銅像です。


科学技術を重んじ、日本を近代化へと導いたその先見の明。そんな偉大な人物が守り抜いたこの地で、現代に「意匠」を伝える仕事をしている自分。銅像を仰ぎ見ると、背筋がスッと伸びるような、心地よい緊張感がありました。
2. 激動の傷跡を残す「鯱の門(しやちのもん)」
銅像への挨拶を終え、いよいよ城内へ。目の前に現れるのは、佐賀城で唯一当時の姿を残す重要文化財「鯱の門」です。

門の扉には、明治初期の「佐賀の乱」の際の弾痕が今も生々しく残っています。静謐に包まれた朝の空気の中でその傷跡を見上げると、激動の歴史を乗り越えて今ここに建っている門の生命力に、畏敬の念を抱かずにはいられません。
3. 本丸歴史館での邂逅:江藤新平の「名誉」を辿る
復元された本丸歴史館へ足を踏み入れると、そこはデザインの視点で見ても驚きの連続でした。畳敷きの広大な空間。
さらに今回は、佐賀が生んだ悲劇の天才・江藤新平の展示にも触れることができました。
明治政府の初代司法卿として日本の司法制度の礎を築きながら、佐賀の乱で死罪となった江藤。大正5年には内乱罪の消滅により「正四位」を追贈されていますが、同じ下野した西郷隆盛に比べると、どうしても世間のイメージは厳しいものがあります。
展示からは、そんな彼の正当な評価と名誉回復のために尽力されている地元の方々の、熱い想いが伝わってきました。歴史の波に飲まれた個人の誇りを、現代にどう語り継いでいくか。それは「意匠」を扱う私にとっても、非常に考えさせられるテーマでした。
4. 【番外編】佐嘉神社でのリベンジを誓う
最後は直正公を祀る「佐嘉神社」へも立ち寄ったのですが……予想以上の車の多さと、バイクを停める場所が分からなかったことに阻まれ、今回は泣く泣く断念。
「また改めてゆっくり来なさい」というお導きだと思い、次回のリベンジを心に誓って佐嘉神社を後にしました。
結び:意匠を纏う、歴史を紡ぐ
「渋滞前に帰り着く」のが私のマイスタイル。歴史の重みとデザインのインスピレーションをたっぷりと鞄に詰め込み、愛車に跨りました。
今回の「佐賀・肥前巡り」は、単なるツーリングではありませんでした。
ご先祖様が大切にしてきたデザインを「お借りしている」立場として、その現場を訪れ、空気を感じ、直接感謝を伝える。そのプロセスを経て、私の中の「日本意匠製作所」としての軸が、より太く、強くなったのを感じています。
もし皆さんも、ご自身の家紋やルーツに興味を持たれたら、ぜひ一度そのゆかりの地を訪れてみてください。そこには、教科書には載っていない、あなただけの物語が待っているはずです。