一、福岡から佐賀へ、ショートツーリング
今回の目的地は、佐賀市内にある高傳寺(こうでんじ)、天祐寺(てんゆうじ)、そして佐賀城址です。
「日本意匠製作所」では、龍造寺家や鍋島家の家紋をモチーフにしたプロダクトを作っています。いわば、ご先祖様の大切なデザインをお借りしている身。「いつも使わせていただいております」という感謝と敬意を込めて、改めてご挨拶に伺うのが今回の旅の大きな目的です。
❄️ 雪を避けて、唐津経由のルート選択
当初は三瀬峠を抜ける予定でしたが、2月ということもあり積雪や凍結の不安が……。バイク乗りの鉄則「無理はしない」に従い、今回は福岡から唐津を経由して佐賀市内へ入るルートを選びました。
🏍️ 「早朝出発、渋滞前帰還」がマイスタイル
私のツーリングスタイルは、朝早くに出発し、道が混み始める前に帰り着くこと。静潔に包まれた早朝の境内は、歴史の重みを感じるには最高の時間帯です。
二、朝霧を抜けて、肥前の魂に会いに行く。——佐賀・高傳寺 参拝記
最初の目的地は、佐賀藩・鍋島家の菩提寺として知られる高傳寺(こうでんじ)です。
📍 高傳寺の基本情報
| 項目 | 内容 |
| 住所 | 佐賀県佐賀市本庄町本庄1112-1 |
| 電話番号 | 0952-23-6486 |
| 拝観時間 | 9:00~16:30 |
| 拝観料 | 本堂・宝物館:400円 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| 公式サイト | 曹洞宗 高傳寺 公式HP |




1. 幻想的な「朝霧」の洗練
早朝、福岡を出発。道中、バイク人生で初めての「朝霧」を体験しました。視界が白く包まれる中、コンビニで温かいコーヒーを飲みながら一息つくと、これから向かう場所の神聖さが際立つような、不思議な高揚感がありました。
静寂が残る時間帯に、第一の目的地である高傳寺へ到着しました。
2. ご住職の粋な計らいと、まさかの「撮影許可」
門をくぐると、ご住職から「初めてでしたら、ぜひ本堂をご覧になってください」と声をかけてくださいました。
拝観料を納め本堂へ。そこには龍造寺家・鍋島家の親族の方々のご位牌が安置されている部屋がありました。ご住職から「今から法要があるから、適当に見といて(※小野流の勝手な翻訳です笑)」と言い残され、図らずも歴代の魂と一対一で向き合う時間をいただきました。
さらに驚いたのは、ダメ元でお願いした写真撮影の許可を、快くいただけたこと。作り手として、これほど身の引き締まる瞬間はありませんでした。(たまたまだったかもしれません。訪れた際、撮影の許可が出なくても悪いレビュー等お控えください。さすがにアップ出来ません。すみません)

3. 数百年の「重み」に手を合わせる
ご位牌が並ぶ部屋に入ると、そこには想像を絶する数の魂が静かに並んでいました。すべて法名(戒名)で記されているため、どなたがどなたなのか、一目では分かりません。
しかし、ここは物珍しさでジロジロと見る場所ではない——。私はただ、龍造寺家・鍋島家両家の皆様へ、日頃デザインをお借りしている感謝と敬意を込め、静かに手を合わせました。
4. 「本堂」は一見の価値あり
その後、本堂内に並ぶ重要文化財の数々を見学。その迫力と造形美は、まさに一見の価値ありです。高傳寺を訪れる際は、墓所だけでなく、ぜひこの本堂の見学をお勧めします。デザインを志す者としても、非常に多くのインスピレーションをいただきました。
5. 墓所に刻まれた、動かぬ歴史
本堂を後にし、最後は墓所へ。龍造寺家、そして鍋島家の当主たちが眠る場所です。説明の看板があるもの、ないもの……。けれど石に刻まれた文字を辿り、その佇まいを感じるだけで、当時の肥前の熱量が伝わってくるようでした。
朝霧を抜け、ご挨拶を終えた私の心は、出発前よりもずっと、晴れやかで重みのあるものに変わっていました。次に向かうのは、百武賢兼公が待つ「天祐寺」です。




三、天祐寺:名将・百武賢兼公の面影を求めて
次に向かったのは、高傳寺からほど近い天祐寺(てんゆうじ)です。
本来は「龍造寺四天王」の菩提寺を巡る予定でしたが、腰の調子を考慮して、まずは四天王の一人、百武賢兼(ひゃくたけ ともかね)公ゆかりのこの寺へ足を運ぶことにしました。
📍 天祐寺の基本情報
| 項目 | 内容 |
| 住所 | 佐賀県佐賀市多布施3丁目13-15 |
| 電話番号 | 0952-24-1706 |
| 参拝時間 | 9:00~17:00 |
| 駐車場 | あり |
1. 迷いの中で出会った、ご住職の言葉
歴史ある墓地へいきなり入るのは憚られたため、まずは本堂隣のご自宅へ伺いました。「分からなかったら声をかけてください」という温かいお言葉をいただき、いざ墓地へ。
しかし、古い墓石が並ぶエリアをどれだけ探しても、目的の場所が分かりません。途方に暮れかけていたその時、ご住職がわざわざ墓地まで来てくださいました。
2. 移りゆく歴史と、残された人々の想い
ご住職のお話によれば、天祐寺は鍋島直茂公によって建立されたお寺であり、かつては龍造寺高房公のお墓もあったそうです。
しかし、後に高房公の墓所が高傳寺へ移設されたため、現在はその場所だけがぽっかりと空いているとのこと。「近しい方々のお墓は移設されずにここに残っているんですよ」という丁寧な解説に、一族の絆や歴史の複雑さを感じずにはいられませんでした。
肝心の百武賢兼公のお墓についても、「このあたりだという言い伝えはあるものの、どれがそうなのかは正確には分かっていない」とのこと。
それでも、バイクで突然訪れた私に対して、嫌な顔一つせず丁寧に時間を割いてくださったご住職の優しさが、心に深く染み渡りました。
3. 新たな発見:武家を象徴する「寺紋(じもん)」
本堂を拝見すると、そこには龍造寺家の「変わり十二日足紋」と、鍋島家の「鍋島杏葉紋」が大きく描かれていました。


気になって尋ねてみると、これは「寺紋(じもん)」というものだそうです。そのお寺と縁の深い武家の紋章を掲げているとのことで、家紋が単なる個人の識別票ではなく、場所や組織の絆を示す「象徴」として機能していることを改めて学びました。
意匠を扱う者として、また一つ賢くなれたような(笑)、晴れやかな気分で天祐寺を後にしました。
今宵はここまでに致しとうござりまする。佐賀城址編は次回に。