いつもご覧いただきありがとうございます、店主の小野です。
休日のバイクツーリング。名もなき道を走りながら、かつてその地で繰り広げられた戦国武将たちの野心に思いを馳せるのは、何にも代えがたい大人の贅沢です。
実はこの場所を訪れたのは、初夏の気配が色濃くなってきた6月のこと。 愛車を走らせ、佐賀県白石町にある歴史スポット「須古城址(すこじょうし)」へと足を運んできました。のどかな田園風景の中にぽつんとそびえる小高い丘。しかしここは、前回までのブログで語ってきた「鍋島」や「島津」の歴史とも深く交差する、九州戦国史における超重要かつ胸熱な舞台なのです。
🐻 「肥前の熊」龍造寺隆信が築いた、九州最大の首都
標高42メートルの独立した丘に築かれたこの「平山城」は、かつて九州を席巻した戦国大名・龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)の居城でした。
「肥前の熊」と恐れられた猛将・隆信。彼は在地領主の平井氏からこの城を激戦の末に奪い取ると、大規模な改修を行いました。当時の隆信の勢いは凄まじく、佐賀・長崎・福岡・熊本・大分にまたがる「五州二島の太守」と呼ばれるまでの巨大な勢力を築き上げます。 須古城は、その広大な領国の「首都」として機能した、佐賀県内最大規模を誇る堂々たる巨城だったのです。
💦 暑さに負けて断念!麓から見上げる「肥前の熊」の威圧感
というわけで、いざ主郭へ!……と意気込んで到着したのですが。

訪れたのは6月。ライディングウェアを着込んだ体には佐賀の容赦ない暑さが照りつけ、ヘルメットを抱えながら見上げる整備されていない入り口と生い茂る夏の草木を前に……「あ、今日は中まで登るのやめとこう(笑)」と、あっさり断念してしまいました。 バイク乗りなら、この夏の城跡攻めの過酷さ、分かっていただけるはずです。
山中にあるという石垣や「弾除け岩」をこの目で見るのは秋以降の涼しい時期にお預けとなりましたが、麓からこの小高い丘を見上げるだけでも、当時の隆信の圧倒的なエネルギーと血生臭い野心がビリビリと伝わってくるような、堂々たる佇まいでした。


⚔️ 鍋島杏葉、そして鬼島津との因縁の交差点
そしてこの須古城、実は当ブログの読者様にはたまらない「歴史の伏線回収」スポットでもあります。
先日ご紹介した「鍋島杏葉(花杏葉)」の熱いエピソード。大友氏から名門の証を強奪し、後に下剋上を果たした鍋島直茂が長年右腕として仕え、そして最終的に実力で凌駕してしまった「かつての主君」こそが、この須古城の主である龍造寺隆信なのです。
さらに隆信はその後、「沖田畷(おきたなわて)の戦い」で有馬軍と我らが「鬼島津」こと島津義弘らが率いる島津軍に敗れて討ち死にします。龍造寺家の急激な衰退が、結果的に鍋島直茂の台頭(リブランディングされた鍋島杏葉の時代)へと直結していくのです。
💡 歴史の点と点が繋がる、ツーリングの醍醐味
一つの城跡の前に立つだけで、「鍋島の下剋上」の背景と、「鬼島津の恐ろしさ」という、今までブログで語ってきた覇者たちの歴史が一本の線で繋がる。これこそが、地元の史跡を巡る最大の面白さです。
隆信の死後、この城は須古鍋島家として幕末まで続きました。城址のすぐそばには現在小学校があり、子供たちの声が響く平和な風景が広がっていますが、その足元には戦国武将たちの強烈な執念が確実に眠っています。
これから暖かくなり、絶好のツーリングシーズンがやってきます。ただ、夏の史跡巡りは暑さ対策をお忘れなく(笑)。 ぜひ皆様も、お気に入りのアウターの中に日本意匠製作所の戦国武将シリーズ(鍋島杏葉や島津義弘の花押など)を忍ばせて、佐賀の「須古城址」へ足を運んでみてください。

