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大河ドラマや歴史小説を見ていると、武将たちが会議の場で「信長様!」「家康殿!」と勇ましく名前を呼び合っているシーンをよく目にしますよね。視聴者にとっては誰が誰だか分かりやすくて親切なのですが、実はあれ、歴史のリアルな現場では「絶対にあり得ない光景」でした。
もし当時の評定(会議室)で、同僚や上司に向かって「〇〇殿」と本名で呼ぼうものなら、その瞬間に空気が凍りつき、最悪の場合は刀を抜かれて斬り捨てられても文句が言えないほどの「最大のタブー」だったのです。
インターネットもスマホもない時代ですが、人間の集団心理や組織のドロドロとした力学は、何百年経っても驚くほど変わりません。今回は、戦国時代の武将たちが同僚同士で一体どうやって呼び合っていたのか?そのリアルなルールを分かりやすく整理しながら、現代のサラリーマン社会(企業組織)との恐るべきシンクロニシティについて語ってみたいと思います。
🚫 最大のタブー「諱(いみな)」本名を呼ぶことは呪いだった
まず大前提として、戦国時代から江戸時代にかけて、武士の本名(例えば「信長」「秀吉」「信玄」など)は「諱(いみな)」と呼ばれていました。文字通り「忌み嫌われる名前」、つまり「軽々しく口にしてはいけない神聖なもの」という扱いです。
なぜ本名を呼んではいけなかったのか?それは日本に古くから根付く「言霊(ことだま)」の信仰に関係しています。 名前はその人の「魂」そのものであり、他人が気安く本名を呼ぶことは「相手の魂を支配する」「相手を呪う」という、極めて攻撃的で無礼な行為だと考えられていたのです。諱を直接呼んでいいのは、親か、絶対的な権力を持つ主君だけでした。
現代の会社組織に置き換えてみましょう。 新入社員が、社長の山田太郎に向かって、役職もつけずに「おい、太郎!」と下の名前で呼ぶようなものです。あるいは、他部署の先輩に向かって「健一さん、これお願い」と馴れ馴れしく下の名前で呼ぶ。現代でも「常識を疑われる」行為ですが、戦国時代ではそれが「呪い」や「反逆」とみなされ、文字通り命に関わる一発レッドカードだったのです。
では、絶対に本名で呼べない彼らは、日常業務や会議の中で、同僚をどうやって呼んでいたのでしょうか?大きく分けて3つのパターンが存在します。
1. 「通称(仮名)+ 殿」:若手時代や親しい同僚
まだ朝廷からの正式な役職(受領名)をもらっていない若い頃や、幼い頃から一緒に育ったような気心の知れた同僚同士であれば、日常用のニックネームである通称に「殿」をつけて呼んでいました。
例:前田利家と佐々成政の場合(織田信長の家臣団・若い頃)
- 利家の通称は「又左衛門(またざえもん)」。成政の通称は「内蔵助(くらのすけ)」。
- 同僚同士の会話:「又左(またざ)殿、今日の戦は……」「内蔵助殿、それは違うぞ」
- ※親しい間柄だと、「又左」「内蔵助」と呼び捨てることもありました。
【🏢 現代のシンクロ:喫煙所の同期トーク】 これはまさに、現代の会社でいう「入社1〜3年目の同期の絆」です。 まだ役職もなく、会社の理不尽さに一緒に愚痴をこぼし合う仲間。「小野くん」「山ちゃん」「佐藤」とフランクに呼び合い、終業後に居酒屋や喫煙所で「うちの課長、本当にわかってないよな」と語り合う。戦国時代の陣幕の裏でも、きっと若い武将たちが通称で呼び合いながら、同じように上層部への愚痴や将来の夢を熱く語り合っていたはずです。
2. 「受領名・官途名(役職名)+ 殿」:出世した後や、一般的な同僚
ある程度出世して役職(〇〇守など)を名乗るようになると、同僚同士でもその役職名で呼び合うのがマナー(大人の礼儀)になります。現代でいう「営業部長」「総務課長」と役職で呼び合うのと同じ感覚です。特定の家系に限らず、全国の大名家でこのシステムが採用されていました。
例:柴田勝家と丹羽長秀の場合(織田信長の重臣クラス)
- 勝家の受領名は「修理亮(しゅりのすけ)」。長秀の受領名は「五郎左衛門(ごろうざえもん)」、のちに「越前守(えちぜんのかみ)」。
- 同僚同士の会話:「修理(しゅり)殿のご意見は……」「いや、五郎左(ごろうざ)殿、それは……」
- ※役職名を少し略して呼ぶのが、当時の「こなれた呼び方」でした。
3. 「苗字 + 殿」:少し距離がある、または公的な場
苗字に「殿」をつける呼び方も使われました。現代の「佐藤さん」「鈴木さん」に近いです。少し距離感を持たせたい時や、公的な会議の場で使われます。
- 同僚同士の会話:「柴田殿」「丹羽殿」「明智殿」
これに加えて、組織の絶対的なトップに対しては、名前も役職も一切出さず、「御屋形様(おやかたさま)」「殿(との)」という最強の代名詞のみを使うのがルールでした。現代の「社長がこう仰っている」と同じですね。
⚡ 現代の会社組織とのシンクロ
戦国時代の家臣団は、まさに現代の「企業」そのものです。 入社(元服)したての頃は「又左」「内蔵助」とあだ名(通称)で呼び合っていた同期の桜も、出世して役職がつくと「修理殿」「越前守殿」と役職名で呼び合うようになり、そこに微妙な権力関係やライバル意識が生まれていく……。
昨日まで「又左」と呼んで馬鹿話をしてた同期が、ある日突然、自分より先に昇進して「越前守」になった時の、あの何とも言えない気まずさと距離感。 会議室(評定)で、彼に向かって「又左」とはもう呼べません。悔しさを押し殺し、大人の顔を取り繕って「越前守殿の意見ですが……」と敬語を使う。「あいつ、俺より先に『守』をもらいやがって……」という猛烈な嫉妬心が、役職名で呼び合うたびに火花を散らしていました。
お互いを役職で呼ぶというマナーの裏には、組織内で自分のポジションを誇示し、相手を牽制する高度な心理戦が隠されていたのです。
🏍️ 理不尽な「サラリーマン戦国時代」をサバイブする
いかがでしょうか。 「本名(諱)を呼んではいけない」というたった一つのルールから、組織の中で生きる男たちの嫉妬、野心、忖度、そして同期との泥臭い絆が透けて見えてきます。 歴史上の偉人たちも、私たちと全く同じように、理不尽な上司に挟まれ、同僚との出世争いに胃を痛めながら、必死に空気を読んで「会議室(評定)」をサバイブしていたのです。
現代の企業社会も、見方を変えれば立派な「戦国時代」です。 理不尽なノルマ、社内政治、出し抜こうとするライバルたち。刀こそ差していませんが、言葉の選び方一つ、根回しの順番一つで、命取り(左遷や降格)になるシビアな世界を生きています。
だからこそ、休日に愛車(バイク)で風を切る瞬間や、一人で静かにグラスを傾ける時間が、現代の戦場を生きる大人たちには絶対に必要なのだと思います。会社という名の甲冑や役職を脱ぎ捨てて、誰の目も気にせず、ただの「自分(本名)」に戻れる時間です。
次に大河ドラマや時代劇を見る時は、主役の天才的な采配だけでなく、その後ろで「あいつ、俺より先に出世しやがって…」と腹の底でギリッと歯を食いしばりながら、必死に大人のマナーを守って同僚を「〇〇守殿」と呼んでいる家臣たちに注目してみてください。
彼らの不器用で人間くさい姿に、きっと「なんだ、昔のヤツらも俺たちと同じように苦労してたんだな」と、明日の会議を乗り切るためのちょっとした勇気(と笑い)をもらえるはずです。
今週もそれぞれの戦場で、理不尽な風に負けず、お互いしたたかに生き抜いていきましょう!