大分県日田市にある「大原八幡宮」へツーリングに行ってきました。
私事になりますが、私の大伯父はミッドウェー海戦で戦死しています。そのこともあり、以前から大日本帝国海軍の歴史には強い関心を持っていました。
今回足を運んだこの大原八幡宮は、かつて日本海軍の重巡洋艦「三隈(みくま)」の艦内神社として分霊されていた、非常に縁の深い場所なのです。
重巡洋艦三隈は、大伯父が乗艦していた航空母艦「飛龍」が轟沈したまさにその翌日、昭和17年(1942年)6月7日に米軍機の猛攻撃を受け、大破轟沈しています。
⛩️ 大原八幡宮の歴史と御由緒
まずは、この由緒ある大原八幡宮の歴史に少し触れておきましょう。
貞観13年(871年)若しくは仁寿2年(852年)に、当時日田郡司であった大蔵永弘によって、杉原宮から現在の元宮に遷座され、宇佐神宮より橋本公則を迎え社司としています。
建久4年(1193年)、大友能直が、東の総社を柞原八幡宮、西の総社を大原八幡宮として鎌倉鶴岡八幡宮の参拝礼式に改めさせたといわれます。
元和10年(1624年)には、日田永山城主・石川主殿守忠総により、元宮から現在の位置へ遷座されました。その際、社殿形式に八幡造を用い、屋根意匠に権現造の要素である八棟造を用いて建立されています。遷座前の場所は元大原神社や元宮神社と呼ばれ、現在も江戸時代中期に再建された社殿が残っています。
| 項目 | 内容 |
| 御祭神 | 誉田別命(ほんだわけのみこと)、大帯姫命(おおたらしひめのみこと)、比売大神(ひめおおかみ) |
| 御利益 | 開運、厄除け、安産・子育て |
| 創建 | 伝慶雲元年(704年) |
| 所在地 | 大分県日田市田島2丁目184 |
🌊 鎮守の森で想う、ミッドウェーの海
見事な社殿を前にして、鎮守の森の静寂の中に身を置くと、昭和17年6月のあの日の情景が静かに胸に迫ってきました。
三隈の乗組員たちも出撃の度、あるいは過酷な航海の最中に、この大原八幡宮の神様に手を合わせ、故郷の家族の無事と武運を祈っていたことでしょう。大伯父と同じ海域で、同じように命を懸けて散っていった三隈の乗組員たちの想いが、この日田の静かな空気に溶け込んでいるような気がして、思わず深く頭を下げ、長く手を合わせました。







🌀 武神が掲げる「巴紋」と、海を守る意匠の力
そして、大原八幡宮といえば、全国の武家から篤く信仰された「八幡宮」です。
八幡宮の神紋といえば、以前のブログでもご紹介した「巴紋(ともえもん)」が多く用いられます。
境内の各所にあしらわれた巴紋を見つめながら、私はふと、この意匠が持つもう一つの意味を思い出していました。
巴紋は武神の象徴であると同時に、「水が渦を巻く様子」を表し、火災除けの願いが込められたマークでもあります。重巡洋艦という、常に爆発や火災の危険と隣り合わせの鉄の城において、水を象徴する巴紋を掲げる八幡様が艦内神社として祀られていたことは、乗組員たちにとってどれほど心強いお守りだったことでしょうか。
武の力強さと、水を操る静かな祈り。
戦国武将たちが愛した意匠は、時代を下り、近代の海軍の艦艇においても、人々の命と心を繋ぐ大切なシンボルとして息づいていたのです。

🏍️ 歴史の記憶を胸に、風を切って福岡へ
大原八幡宮の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、再びバイクのエンジンに火を入れます。
日田から福岡へと続く帰り道。ヘルメットを撫でる風を感じながら、歴史の大きなうねりと、今こうして平和な時代にバイクを走らせることができる尊さを噛み締めていました。
日本意匠製作所で作っている「戦国武将シリーズ」のアイテムも、ただの「かっこいい柄」ではありません。そこには、大原八幡宮の巴紋のように、先人たちが命懸けの状況で信じ、祈りを込めた「意匠の力」が宿っています。
歴史を知り、その重みを感じながら、日常の中でさりげなくその意匠を身に纏う。
そんな大人の楽しみ方を、これからもこのブログとアパレルを通じて、少しずつ皆さんにお伝えしていけたらと思っています。
大原八幡宮、歴史のロマンと静かな祈りを感じられる素晴らしい場所でした。ツーリングの目的地としても最高ですので、ぜひ皆さんも足を運んでみてください。