いつもご覧いただきありがとうございます、日本意匠製作所の店主・小野です。
前回は、私のルーツの奥底にある昭和の戦史として、ミッドウェー海戦において空母「飛龍」と共に散った大伯父の魂の原点、軽巡洋艦「阿武隈」の特異な意匠についてお話しさせていただきました。「絶対に退かない覚悟」を鍛え上げたその姿こそが、私が過去の意匠を現代の鎧(アパレル)として復刻し続ける理由に繋がっています。
今回は、兵器や武具といった「立体」から少し視点を変え、戦国武将たちの「描かれた姿(肖像画)」と、そこから読み解ける意匠の裏側について語りたいと思います。
🖼️ 「生きている姿」ではなく「魂の格」を描いた戦国時代
教科書や博物館で戦国武将の肖像画を眺めるとき、「なんだかのっぺりしているな」「みんな同じような顔に見えるな」と感じたことはありませんか?現代の私たちが写真に求める「そっくりさ」が、あの絵にはありません。
しかし、それは絵師に技術がなかったからではありません。 私たちが目にする武将の肖像画の多くは、本本人亡くなった後に描かれた「遺像(いぞう)」です。これらは菩提寺などで供養や礼拝の対象として飾るためのものでした。
そのため、生前の顔のシミを写し取ることよりも、神仏やご先祖様として敬うための「威厳」や「精神性」が最優先されたのです。目を少し吊り上げ、恰幅を良く描く。いわば「理想の武将像」としてデフォルメすることで、その人物が抱いていた「絶対に退かない覚悟」や「一族の誇り」といった、目に見えない魂を絵の具に乗せていたのです。

🔥 リアルに描きすぎて“大炎上”した男
では、逆に「ありのままの真実」を突きつけたらどうなるのでしょうか? その答えを歴史に刻んでしまったのが、江戸時代の浮世絵界に突如として現れた異端児、東洲斎写楽です。
【🖌️ 東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)プロフィール】
- 活動期間:寛政6年(1794年)5月から約10ヶ月間のみ
- 正体:阿波徳島藩の能役者であったとする説が有力だが、未だ完全な謎に包まれている。
- 特徴的な意匠(作風):当時の常識であった「役者の美化」を一切拒否。シワやたるみ、受け口といった隠したいであろう特徴を極端に誇張して描く「大首絵(おおくびえ)」。その容赦のないリアルすぎる描写が役者とファンの猛反発(大炎上)を生み、瞬く間に表舞台から姿を消した。
当時の役者絵(歌舞伎役者の浮世絵)は、現代でいう「アイドルのブロマイド」。ファンはカッコよく描かれた「推し」の姿を求めていました。 しかし写楽は、上記のプロフィールにある通り、役者のシワやたるみ、鷲鼻、受け口など、本人が隠したいであろう欠点までも容赦なく生々しく描き出しました。
結果は、「俺の顔はこんなに醜くない!」「推しを侮辱するな!」という猛反発。あまりに真実を突きつけすぎた写楽は、わずか10ヶ月で浮世絵界から消え去ります。大衆が求めたのは「残酷な真実」ではなく、美しい「理想」だったのです。

🛡️ 先人たちの魂を、現代の鎧(意匠)へ
「目に見えない魂」を美化して描こうとした戦国の肖像画と、「残酷なまでの真実」を描いて消えた写楽。
どちらも、日本が誇る「意匠(デザイン)」が持つ強烈な力です。日本意匠製作所では、特定の家系に固執することなく、こうした先人たちが意匠に込めた「覚悟」や「美学」そのものを大切にしています。
その造形美が最も際立つホワイトとブラックの2色に絞り込み、現代の日常という最前線で纏うための鎧(アパレル)として昇華させた【甲冑シリーズ】と【浮世絵シリーズ】。
肖像画の奥に潜む武士の矜持や、写楽が暴こうとした真実の造形。それらを背負ってバイクを走らせる時、あなたの背中を支えるのは、数百年経っても色褪せない「本物の意匠」です。

